THE RIPTIDESは1976年に当時の新しいパンクの音に影響を受けたクイーンズランド大学の5人の建築科の学生によって結成。いくつかのバンド名とメンバーが変わり、1977年の初め頃、デニス・カントウェル(ドラムス)、スコット・マシソン(ギター)、アラン・リリー(ギター)、ロブ・ビッカーズ(ベース)とマーク・キャラハン(ボーカル)のメンバーで最終的にTHE NUMBERSに決まる。1978年の中頃にブルース・ウィンドウ・スタジオに入り1STシングル『サンセット・ストリップ』をレコーディングする。
『サンセット・ストリップ』は地元と海外音楽プレスの両方に高い評価を得るが、その事により、シドニーに同名のバンドが存在する事が判明。その後、メンバーのロブ・ビッカーズが脱退(やがてGo-Betweensに加入)し、4人になったのを期にバンド名をTHE RIPTIDESに変え『サンセット・ストリップ』を1979年に再リリースする。
アランが学業に専念する為に脱退する迄はブリスベン周辺で活動していた。アランの代わりにアンドリューが(ギター/キーボード)加入し、新たなラインナップによって『トゥモローズ・ティアーズ』を1980年にリリースし、後にシドニーに活動拠点を移す。
シドニーの音楽シーンでブレークするには非常に難しいと分かるが、評価の高いライヴ・レヴューにより徐々にファンを獲得。オーストラリアで人気の高いライヴ・アクツとなり、1981年レギュアー・レコーズと契約する。1981年の中頃にはスコット・マシソンがバンドを脱退し、代わりにマイケル・ヒロンが加入を切っ掛けにマーク・キャラハンがギターに代わり、マイケル・ハミルトンがベースとなる。
その後バンドは6曲のEP、『スウェプト・アウェイ』をフェスティバル・レコーズのプロデューサー、グラハム・バズ・ビストラップによってレコーディングし、シングル『オンリー・タイム』を1981年の終わりにリリースする。81年から82年迄広範囲に渡ってツアーをした後に、デニス・カントウェルとアンドリューが海外放浪の旅に旅立つを決意。マークとマイケルにバンドの再編成を任せバンドを去った。
マイケルがリード・ギターになり、グレーム・ユッチンソン(ドラム)、ハワード・ショークロス(ベース)、ラッセルパークハウス(キーボード)の新しいラインナップになり、シングル『ハーツ・アンド・フラワーズ』をレコーディングする。
『ハーツ・アンド・フラワーズ』は1983年にリリースし、イギリスのSIMLE MINDSのツアーに参加するなど徹底的にツアーをこなしたが、1984年にマークとマイケルの決断によってバンドは解散してしまう。
マークは大成功を納めたGANG GAJANGのフロントマンとなり、マイケルはカルト的人気曲『ザ・プラグ・アグリーズ』、『ザ・パイナップルス・フローム・ダウン・オブ・タイム』で参加し一緒にプレイしている。
1987年に激励のバンド活動をした後にマーク(ギター)とマイク(ベース)はアンドリューとプロデューサーのグラハム・バズ・ビストラップ(ドラム)により、ブリスベンで再び一緒になる。このラインナップは1988年にリリースされたライヴ・アルバムの『リサーフェイス』と同じラインナップで、生々しく、伝染的なエネルギーのライブだったのを得られる。このアルバムは投票により、ローリングストーン誌のトップ100アルバムになる程である。THE RIPTIDESは挑発的に再び現れ、次の10年に渡り変わったツアーを行い、バンドは本質的なルーツである、バンドが好きな人々と一緒に楽しい曲を演奏する為に再び戻って来た。
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